日記等


by kato_ashura

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なんだかな〜。

ふだんからけっこうまぬけなことはするのだけど、今回は痛い目にあった。
怪我をしたのだが、その現場はこの世に存在しないというか。
夢の中でケンカして、とっさに蹴りを食らわしたのだが、おかしい。こっちの足が痛い。
つぶった目を開けると、そこはベッドの中。
灯りをつけて痛い所(右足のつま先)を見ると、親指の爪がパカッと割れて今にも血が出ようとしている。
壁は痛そうではない。
物音に驚いた妻が気味悪そうにのぞきこんで、「あら〜。」とのたまう。
シーツに血を付けると叱られそうなので、ビッコをひきながら(あ、差別用語だっけ)、救急箱のある所まで行って、サビオかバンドエイドかわからないけど、で、爪を押さえる。
じわり、血が滲んだ。
とても痛かった。
妻に聞くと凄い音がしたんだそうだ。
そうかもしれない。

別に悪口のつもりはないが、妻はこういう時にクールだ。
以前、自転車でこけて肘をずらっと擦りむいた時、でれ〜っと血が滲みだしてくる広い傷口に、これで消毒しとくのよって小さい缶のスプレーを吹き付けた。
なんて優しい。
ところがこれがえらく痛いので、痛いよって言うと、何言ってんの弱虫、これぐらいがまんしなさい、治療してるんだからって、ほぼ全面に吹き付ける。
「なんかさ、痛いんだけど」「がまんしなさい」の会話が2〜3回かわされたあと、「あれ?」
「何?」
「これちがうわ」「何が?」
「これスキンガードだ」「え?」
「キズドライだと思ったよ」
「あ、そう。どうりで痛いわ」
わかってしまうとなお痛みは増したのだった。
傷を洗ってやりなおしがまた痛かった。
それからは自分で治療する事にしたのである。

それにしてもこの歳で、夢の中のひどく嫌なやつだったが、とケンカして、先手のつもりで思い切り蹴りを入れたその場所がベッドの脇の壁だったとは。
一緒に寝ている犬を蹴らなくてよかった。
でも、まぬけだ。年甲斐もない。
妻には爪が割れるまで蹴らなくてもってあきれた顔をされるし。
だけど、痛いのはオレだし。
なんだかな〜。だった。

Rock Me baby

反省してもこればっかりは夢の中の出来事で、もしまたそんな夢を見たらどうするだろう?
この事を教訓にするだろうか?
それは疑問だ。
生まれつきかもしれないし。
夢の中に教訓なんか持ち込みようがないんじゃないだろうかと思えて、不安になる。

Baby What You Want Me To Do

関係ないけどプレスリーのギター、結構イケテルと思う。

Levon Helm "Poor Old Dirt Farmer"

希望としては、Levon Helmみたいに、こんな風に年を取りたい。
これからドラムをやったからといってこうはなれませんけどね。
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by kato_ashura | 2009-07-29 23:23

さあ、夏だ。

夏が好きだった。ずっと。
子供の頃は夏休みが何より楽しみで、母の田舎や、父の田舎にずっといた。
周りはあまり熱心に遊ぶ子供のオレの迫力に押されたのか、強く注意される事もなく、いうなればやりたい放題ではあった。
やりすぎでお目玉をくらったことは当然あるが、なかなかめげない子供であったと思う。

お盆が過ぎて、オレたちの夏が来る。
母の田舎は旧盆だから、特別だった。
怖い地獄絵や、叔父の日本刀。
精霊立ち(ショウロダチ)の行事。
田んぼに水を引く小川での蛍狩り。

日本刀はすごかった。
もの凄く綺麗で、魂をとられた。
普段物静かな祖父の腕力のすごさに驚いた事。
暗い倉に閉じ込められて、二階の小さな明かり取りから差し込む光をたよりにしまってあるものを探検した。
どうみても血としか思えない黒いものが付着した鎖帷子をみつけたり、きちんとたたまれた経帷子もみつけた。
数本の日本刀も。
中には子供の力では抜けないのもあった。
よほど鞘のしつらえがよかったのか、それとも錆びて手に負えなくなったのかはいまだにわからないが。
いつのまにかオレにとってはしかられて閉じ込められた薄暗い倉の中が興味津々の遊び場になっていた。

その家も建て替えられて、魚を焼く囲炉裏のある広い板の間と、板の間の次ぐらいに広くて、りっぱな自在鍵のある黒い漆塗りの縁の囲炉裏や、大きな振り子時計のあった仏間も、もうないという。
かつて幼い娘を連れて訪ねてから、その娘がまた来るからねと言ったまま東京へ帰って、いまだに来ないと言われ続け、幼かった娘はこの6月に結婚した。

そう、祝儀には、海が近いせいか、決まって鯛の塩焼きがでて、それをその席では食わずに、あとで集まったときに、もう一度囲炉裏で軽く焼いて、どんぶり鉢に入れて熱燗を注ぎ、身をほぐして食べながら飲む。
まちがいなく一生忘れられない飲み方だ。
鯛酒。
祝言だから皆機嫌がよく、明るくなっても飲んでいる。
横になっていても、話をふられたらきちんと返事をするのが掟だ。
寝ぼけて笑われるのは本当の恥なのだ。
こういう時、無理はするためにある。
例外はなく、掟は守られていた。


夏が来る。
逝った人たちとの会話の季節だ。
今年も墓を洗って、墓の植栽を整えて花を供え、線香の香りを嗅いだ。
青い田や、草いきれ、流れる水、静かな墓石。
オレは、夏が好きだ。
Summertime
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by kato_ashura | 2009-07-16 20:55

今って、いつ?

共有する時間は、その相手をマスにしようとそうでなかろうと、それは自分の時間なのだと思う。
話題に上がる誰か、あるいは何かについて語ろうとすれば、その焦点とされる所は、あらかじめ公共の情報から流されたものがほとんどなので、それぞれのメディアの意思によって形作られているだろう。
またその受け取り方も千差万別。
その人の生きてきた背景や、現在の状況によって大きく違ってくる事はいなめない。
コンテンポラリーという言葉があり、かつて写真の流れの中でけっこう話題にされた時代もあったと記憶しているが、その意味する今の事を誰もが強く意識した訳ではなかっただろうし、それがどういう風に大切なのかなんてとこまで思いが至った人は多くはなかったんじゃないかと思う。
同時代のと片付けるには、あまりにくいちがった思考を持つのに、それを見ないふりする一歩離れた観の若者が大勢であるように感じてならないのだ。
我々の若かった時代にヒッピーが現れ、フラワーチャイルドとかで、平和を主張したその事に問題がある訳ではなく、あの時、その主張は衝突を避けようとするものではあったが、衝突をおそれるものではなかった。
時代は今、オレたちはそろそろここから去らなければならない時に至って、伝えたいと思う何かがある。
かつてオレたちは年上から無気力だとか言われた。
だがそれはやみくもに活動する事をよしとした世代とは違って、立ち止まって考える事が出来るようになったという進歩でこそあれ非難されるいわれ等ないことだったのだ。
そしてオレたちはひきこもらなかった。
馬鹿にされ、いいスタンスをとれなくても、コミュニケートする事を捨てようとした訳ではなかった。
いいスタンスをとれなければその場を捨てるというようなけちな了見はない。
米つきバッタになる気もない。

その後、中国で鄧小平が天安門で学生をミンチにした時、毛沢東の思想の歪みを知った。
彼らは遅れてきたものたちだったと知った。
毛沢東語録の表紙の金文字も褪せたと感じたものだった。

そして、この今とは、誰のいつなんだ?
できると信じた事を、できなかったことの堆積が埋めていくのだろうか?
次の世代への愛が伝わらない歯痒さをオレたちの親たちも味わったんだろうか?
今や愛は方法論となり、サービス業の教科書に載る。
無償の愛をどうやって論とするのか?
母を愛して失った、なかでも特にできのわるい子にはそれがわかる。
世の中には頭が悪いからわかるってことだってあるのだ。

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Sea Of Love

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Trip i Bermo

長くて退屈だった?
オレはこの感じが好きなんで。 つくったようになってないところがネ。
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by kato_ashura | 2009-07-03 21:04