日記等


by kato_ashura

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群れと個。

ロイブキャナンのThe Blues Loverを聴きながら書こうとしている。
のっけからだが、この曲はホントにカッコいい。(YouTubeでみつかりませんが)

群れと個ということについて書こうと思ったのは、今の自民党の事でもあるし、派遣社員を勝手にしている企業についての事でもあるし、オレが何十年か生きてきて、社会との関わりの中でいろんな経験をして得た感動とがっかりの事について少し書いておきたかったからだ。

群れの中にいても自分を見失わない人もいるし、個であり続ける行き方を選んでいる人でもある意味自分を見失ってしまう人もいる。
ありきたりの定規は無いのと同じだ。

the messiah will come again

メシアというのはキリスト教とかユダヤ教とか普段あまりなじみのない(オレにとっては)宗教の中での重要な存在のようなので、まあ、預言者とか救世主とかいった意味の方と思う事にするが、オレ自身、西欧人でなくキリスト教徒でもない、イスラム教徒でもユダヤ教徒でもないので正直あまりぴんとこない。
ただ、どうやらこの方は個であるらしいので、話に載せさせていただく事にするかといったところだ。
宗教は当然、多数からなり、区分けとしてある群れを生じる。
集会に参会しなくても、あるひとつの方向性を持った人々はいうなれば群れだ。
それを統率しないのに、そのトップにあるのが宗祖だ。
不思議だ。

ちょっとだけ似ているのが、国民に責任を持たなくてもトップに君臨する人。
この人も個人なんで、オレ達と同じだが、公人というイメージの中での役職に就いておられる。
党を率いて意見や方向性の異なる他の集団と対決し、自己の正当性を主張される。
主張する事に夢中になるあまり、多くの場合本来の自分の役目を知らなかった事にしたりもする。
ノルウエーの森の作者がイスラエルで言った壁と卵の話は心に響いた。
あの作品は、当時読みたくて買ったものの、むちゃくちゃ忙しい日常にやっつけられていたオレが、こんなところにいたら本も読めないと言ってかみさんに嫌われながらセブ島までずらかって読んだので、その作家が世界に評価された事は嬉しい事だった。

政治が我々の為の事でないと思ってしまったら、官が伸す。
それはじつに経験済のろくでもないことだから、政治には参加するのがいいんであろうと思うのだが、それじゃどんなふうに関わったらいいのかがむつかしい。

Battle Of Land And Sea...

性善説ってどうだろ?
子供の頃はそう思っていた。
懐疑的に世間をみることは絶対必要だナ。
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by kato_ashura | 2009-02-22 22:16

狂人。

タイトルにした狂人は、自分の日記を読み返していてみつけた、魯迅の狂人日記の読後の感想をメモしたモノからのものだ。
人を食らうというグロテスクな妄想に、社会の底にある、ある関係性を関連づけている。
語源が同じか知らないがグロッタは確か洞窟の意味だと思う。
正当で、公明な議論にも、じつは底流にどろどろしたものが澱むのであり、自分が人食いである事に目をつぶる為には、それに感づいた者を本当は食ってこの世から消してしまいたいのだが、それができないのはそれをすると自分も他人に食われるからなのだ。
狂人について、何かの引用だろうがこんなメモもあった。

狂人とは理性を失った人ではない。理性以外のあらゆるモノを失った人である。

社会が駄目になってゆくのは、上に立つ者が悪いからだ。
年齢のいった人で、地位のある人が人にあらざる事をする世の中だ。
例えば学費を払わない、家賃を払わない親が増えている。
貧しくて払えない家庭もあるが、そうでなくずうずうしく払わない者の話だ。
支払いがなくてどうして何かが手に入ると思うのか?
知恵でも物でも同じだ。
それが成り立つならこの世は泥棒の世界だろう。

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実際に大昔の類人猿がお互いを食って生きたかは知らないが、魯迅の語る事には社会の捉え方について大事なヒントがある。
人を食わぬ子供が生まれたなら、その前にひざまずくといい。

*NEW* - Marco Solo - Your Ghost -

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年月をいかでわが身におくりけん  昨日の人も今日はなき世に

雨の日と月曜日は

永遠と思うモノの中に何かを見出すのか、それとも日常の中にそれを感じとるのか。
しかしいい歌だな。
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by kato_ashura | 2009-02-11 00:22

Change.

オバマ大統領じゃないけど、オレの周辺もいろいろと変化してきている。
当然、今までだって変化の連続なのだが、変化をより感じるようになった原因には、母や友人、それに師の死が影響していると思う。
諸行無常が心あるいは肌でとらえられるようになってきたと感じている。
我が家も、祖父母と暮らした時が過ぎ、父母の時代があって、今はほとんどのことを自分がやるようになった。
向かい側の和風ファミレスも、解体が始まっているし、
オレが子供の頃とは景色も人も変わった。
家のまわりにあった田んぼなんかすっかり減ってしまって、日本の食料は大丈夫かなとずっと前から心配している。
気持ちの中に、できることなら子供の頃のあの景色の中でまた暮らしたいという願いがある。
春、強い風にけなげに耐える植えられたばかりの苗、夏の強い日差しに青く涼しげに揺れる稲たち、たわわな稲穂が金色にきれいだった秋。
かつては身近に田んぼがあった。
魚を捕る仕掛けを考えたり、祖父に教わって竹とんぼを作ったり、作ってもらった凧をあげて遊んだ。
こういうのを郷愁というんだろうか?
この地にいて、ずっといるのに故郷が無くなったと感じるのは、また違う表現があるのだろうか?
遠く離れて思うのではなく、ここにいるんだけどね。
これもChangeなのかな?
何かしっくりしないな。

Alan Jackson Summertime Blues

Sarnoさんを喜ばそうという選曲だが、これもいいけど
オレは本家の方が好き。

Summertime Blues

オレの場合、思い出はなぜか夏が基本になっている。

The Who Summertime Blues

じゃあ、ついでだもういっちょ。

Cats Summertime Blues

なんでか、おつりの事もChangeって言うな。
英語人の考え方はよくわからないところがある。
おつりと両替はホントに違うじゃん。
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by kato_ashura | 2009-02-04 15:52