日記等


by kato_ashura

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夏が来た。

どうやら全国的に夏が来たらしい。
ということはもうすぐ秋。
夏という季節にはそんな性格があるように思う。
季節の中で一番好きなのは夏だ。
もうきっと海水浴をすることも、ヨットをすることもないだろうが、思い出の中にあっても一番輝いているのは夏だ。
何年もひとりで東北の大曲まで花火を観に行っていた。
オレにとっての精霊流しみたいなものだった。
バイクで新しい仲間ができて、数人で一緒にその花火を観に行った帰り、親しかった友人が事故をして、怪我はなかったが不安が心に残った。
その友人がそれからしばらくして事故で、今度は亡くなってしまった。
今年も出雲のご実家までお線香をあげさせてもらいに行くつもりだ。
やさしいご両親と気持ちのいい弟君が待っていてくれる。
あの地へ行くと彼の声が聞こえる。
それが聞きたくて行く。
メットの中でSUMMERTIME BLUESなんかを口ずさみながら。
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by kato_ashura | 2008-07-30 10:59
やっぱりさ、もう少し生きていてくれたらよかったよ。
言いたい事があったんだ。
言わなきゃならない事を黙ってた。
すまなかった。
だがもうどうしようもない。
別に関係ないけど今日遠くに行く為に持ってたバイクを一台売った。
二束三文だったが、それでよかった。
お前と遊んだ日がどんなに楽しかったかわかったし。 
あっちがあるならまた会いたいよ。
またバイク買っとけよ。
オレは乗って行くから。
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by kato_ashura | 2008-07-21 00:12

長くて短い時間。続き。

恵子さんは飲み物と食べ物を手作りで用意してくれていて、冷たいビールと香りのいい赤ワインでもてなしてくれた。
こっちは訪ねては来たものの何を話していいかわからず、開け放してある和室の北原の笑顔を眺めていると、妻が話し始めた。
まだ学生で、若い頃に結婚したオレたちが住んでいたアパートに子供ができたお祝と当時売れてたサッポロジャイアンツを2本ぶらさげて来てくれた事、妻は北原には2回しか会っていないけど、映像をやりたいと言っていた息子が就職の時もよく世話してもらったこと。
妻の話に誘われるように思い出話をし始めた恵子さんの目が潤んで、みるみる赤くなって涙があふれて、オレは情けないぐらい何も言えなくて。
もういけないとなってから家に帰りたいと望んだ北原を連れ帰ったあと、病気が進んで何から何まで恵子さんの世話にならなければならなくなった北原は恵子さんに言ったそうだ、お前にだけはこんなことさせたくなかったと。
あの北原の性格だ、どんなにか辛かっただろう事はいわずもがなだ。
それでも亡くなる2日前に辛い体をおして自分でクルマを運転して病院へ行き、医師にどうもありがとうございましたと挨拶をするのを恵子さんは微妙な気持ちで見た。
その夜はまるでよくなったかのようにスコッチを飲みたいと言い、くだんの酒屋でだろう、息子が買ってきてくれたその酒を好きなジャズを聴きながら飲んで、夜遅くまで話し、よく笑ったそうだ。
恵子さんが、あての支度なんかで立とうとすると、いいから此処に座ってろと、そんな事しなくていいから此処にいろと。
きっと何かわかっていたんだろうとしか思えない。
去る時にあいつはきっと、あばよ、か、じゃぁな、か言ったと思う。
恵子さんにはありがとうがついただろうな。
声にはならなかったかもしれないけれど。
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by kato_ashura | 2008-07-16 21:48

長くて短い時間。

モノレールが玉川上水の駅に近づくと眼下に大きな霊園が見えて、妻は明るくていいわねと言った。
統一された形のグレーの石が、暑くて強い日差しの中で揺れて見えた。
自転車で迎えにきてくれているはずの恵子さんはまだ着いていなくて、改札の前でぼんやり立っていると、近くに高校があるらしく制服姿の学生たちが通り過ぎて行った。自分のあの頃が遠くなったのを感じながら恵子さんの顔も知らないのに西武線の駅の方までさがしに行った妻をせっかちだなと思いながら見やっていると声をかけられた。
その声と目に面影があって30年も会わずにいた事が嘘のようにさえ感じられ、すぐになれなれしい話し方になっている自分を発見。
そのとき思ったのは、あれ?こんなにちいさかったっけ。
恵子さんは友人の北原の奥さんで、むかしオレと同じ会社に勤めていたグラフィックデザイナーだった。
あるとき北原と飲む約束をした日に、たまたま帰る時間が同じになった恵子さんを一緒にどうかと誘ったそれが機縁で、北原と恵子さんは結婚した。
北原の暮らした家への道を国立音大のホールに来た事があるとか話しながら歩く日傘をさした女二人の間を少し後からついて歩いた。
あそこなのよと恵子さんの声がして、その先に白い集合住宅が見えた。
左には酒屋があって、きっと北原はこの店に通ったなと想像できて、酒屋が近くていいねと言うと、そうなのよ、よくきてたわと恵子さんはオレの想像どおりにこたえた。
階段を3階まで上がりながら、此処を上がるのに最後の頃は2〜30分かかっていたわ、つらそうだった、私も力がないしと初めて苦しかった事を口にした。
フランス人形の座っている玄関に入り、とてもよく整理された部屋に通され、奥の和室には回り灯籠が滞る事なくよく回っていて、簡素な白木の棚があって、上にはお盆の支度が整っていて、その横で見慣れたあいつの笑顔がよく来たなと言ってるみたいにこっちを見ていて。
ああ、ホントに逝っちまったんだな。
と、思った。
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by kato_ashura | 2008-07-15 23:13

さようなら。

妻の父親が6月27日に亡くなって、その葬儀に行ってきた。
もう10年以上入院していて周りの者も覚悟はしていたが、やはりいざその時が来るといろいろな思い出が涙腺にプレッシャーをかけるので、涙がでてしまう。
喪主は妻の母が、施主を稼業を継いでいる兄がやって、故人の起した会社の社葬という面のつよい葬儀だった。
そのためロータリークラブとかいうそういうことをも飲み会にしてしまうような人々が大勢参列してくださって、とても盛大な葬式になった。
思ったのは、オレん時はもちろん大勢なんか来ないだろうけど、オレが生まれた時に居てくれたぐらいの人数で送ってくれたらそれでいいなと。
誕生と死はふつうに同じような事だけど、死ぬ時はもう大人なんだから、こっちからもありがとう、さようならって挨拶できたらいいなと思った。
墓は代々のがあるがどうするかはむしろ残った人の問題だからどうしてくれとの希望はない。
いかようにもしてもらって結構だ。

思えば義父との初対面の時、青二才のオレは娘さんをくださいじゃなくて、結婚したいから認めて下さいなんてなまいきなことを言った。そのとき戦争経験のある妻の父親は、まだ二十歳の自分の娘を妊娠させた男の身の程知らずないいぐさを何も言わずに許してくれた。
孫もとても可愛がってくれたし、オレの仕事も心配してくれた。
今日、ついさっき帰ってきたけれど、きっとまた泣く日がありそうだ。
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by kato_ashura | 2008-07-04 14:51