日記等


by kato_ashura

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COOL !

カッコよさもきっと人によって評価がさまざまだろうが、オレにはカッコいい友人がいる。
死んでしまった男もいるが、カッコよさはオレの中で永遠だ。
ジャズみたくぜったいにカッコよくなきゃいけないのもいいし、ブルース的に本音を語るのも同じ。
本音と気取りはあるところで合流する。
内面は外面というような言い方をしたのはボブディランだったかな。
ひたむきに他からの視線を意識せずただやる事。
そのやるべき事を信じている事。
もしやりとげられなくても、そんなこと関係ないと思える事。
他の同意を頼みにしない事。
孤独を恐れない事。
愛する事。
ありがたさに心を払う事。
命を尊ぶ事。
オレは古いかもしれない。情けないかもしれない。
でもいいや。
そう思えるからね。

方丈記には

もし、念仏ものうく、読経まめならぬときは、みずから休み、みずから怠る。
さまたぐる人もなく、また恥ずべき人もなし。
ことさらに無言をせざれども、独り居れば、口業を修めつべし。
必ず禁戒を守るとしなくても、境界なければ何につけてか破らん。

ってこんなくだりもあって、気持ちが安らぐ。

右上にタイトルみたいにしてある自分の写真を自分で眺めて牛を哀れと思った。

牛は子牛を産んで、少年が大人になった頃食われたり、自分が自分の子を育てる為の乳で煮られたりする。
何て言ったらいいだろう。
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by kato_ashura | 2008-06-25 23:19
この時期立ち葵が目につく。
この字でいいかどうか知らないが、まあ、こんな感じだろう。
この草花は比較的茎が丈夫ですたっと立って地面に近い所から花をつけていくのだが、結局すべての莟が開花していないような気がする。やがて枯れてしばらくは茎ががんばっているのだけれど、暑い日差しに耐えられなくなるように終わる。
花がいっぱいになった頃に梅雨が明けるなんておしゃれなことをのたまわっていたお天気おじさんがいたが、まあ、そうでもない。
好い香りもしないあおくさいだけの植物だが、この花が好きだ。
ちょっとした空き地に群れている事もあるが、たいていは道端にある事が多い。
町外れの小さな道の交わる辺りにぽつっと立っているのが似つかわしい夏の花だ。
風に吹かれる姿が絵になるわけでもなく、室内にはまったく似合わないが、花は何が好きかと問われればタチアオイと答える。
この花が夏が来る事を知らせるとしたら夏の終わりの引導を渡す役を担うのはきっとさるすべりだろう。
これは木花で独特の樹皮を持つあまり太くならない木に赤く、少しピンクがかった花をつける。白いのもあるが、これは赤い方のが好い。
夏の終わりの夕日に映える。これが不思議な程映える。
この花が消えたらもうすっかり秋だ。
もちろん、夏の盛りを知らせるのはひまわりと言いたい所だが、たぶんひまわりは花火に負けるかも。
ここしばらく思い出したように音楽をしようとしているが、内側はだいぶ準備ができたけど技術的の事がなかなかだ。
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by kato_ashura | 2008-06-19 23:41

ノスタルジア。

昔住み、暮らした所を懐かしむ所謂郷愁は同時に子供の頃の自分と、自分がそのときふれあった人々との思い出でできているとも言えるだろうか。
それとも今の自分が必要にかられてつくりだした映画のようなものででもあるのだろうか。
クリクリのいた夏という映画で子供の頃を思い出して年をとった主人公たちが声を合わせて朗読する詩が好きで

楽園

子供時代の愛の汚れなき楽園
はかない喜びに満ちた無垢な楽園
楽園はもはや遠い インドや中国よりも
今も思い出す 郷愁に浸り切々と
澄んだ声で楽園を懐かしむ
はかない喜びに満ちた無垢な楽園

ノスタルジアというタルコフスキーの映画が好きだった。
現実逃避?
それもあるかもしれない。
だけれども、希望だの志だの先の方にあるようなものだけがオレの心の支えになっているわけではない。
ノスタルジアはオレを何処かへ誘う力がある。
そしてまた出会いがあって、それがまた思い出ともなる。
大宮駅の近くにある鉄道博物館に行ってきた話はもう書いたっけかな?
あそこはある意味楽園だったような気がする。
祖父や祖母が省線と呼んでた頃の焦げ茶の電車やら蒸気機関車やらの鉄の動くやつらが快くこっちのかってな思いの相手をしてくれた。
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by kato_ashura | 2008-06-03 17:47