わかるという事。

わかる、合点がいく、理解する。
5+5=10のようなどうでもいい正しさを求めるように、心の問題をわかっちまったらいけないだろうと思う。

もう死んでしまった夫をその後発覚した女性関係の事実から恨まなくてはならなくなってしまった夫人がおられて、それはそれは苦しんだようだ。
亡くなってもう2年、ずっとひとりで苦しんでおられたのを、最近になって知った。

彼女によると、しがらみという字には柵という漢字をあてるそうだ。
乗り越えなくちゃねと気丈に言われる。

おい、彼女がそう言ってたぞ、ホントなのか? どういう事だったの?
と、問いつめる相手がもういないのだ。

彼女は夫の友人達を敵と思ったそうだ。
当然かもしれない。
家族ぐるみで親しくしていた友人もその事が発覚して以降音沙汰がないらしい。
きっと何も言えないのだ。
オレはこの夏まで知らなかったが、それを知ってから最近、彼女を彼の墓参りに誘った。

彼と彼女はふたりで子供を育て、家庭をつくって暮らしたのだった。
彼女は彼を疑った事がなかったそうだ。
発覚した事実のとらえかたが違う彼の実家と彼女も関係が切れてしまったという。

To Build A Home

彼女は何を力にしてもういちど飛び立つ事ができるのか。
これからもまだ、夢は彼女にとって何かの役に立てるだろうか?
オレは疑うというテーゼに対するアンチテーゼをたてて細かく対立させてみたらいいのかと思ったが、言ってしまった後だがじつは自信がない。無責任だよね。
考えるとつくづく自分が無力だと思う。

わかるということはもしかするとわからないということなのかもしれないから、人と同じ答えだからといってわかった気になっちゃいけない。
ときにはつきつめて、心の力で歩まなければいけないナと思った。


悲しくてやりきれない

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by kato_ashura | 2008-10-17 23:51