北海道に行ってきた。

写真というのは例えば何処かに行ってきた事の証明もするけれども、じつはそれが本当かどうかはわからない。
さも行ってきたかのような文面を作ってそれらしい写真を添えたらよほど疑い深い人以外はそれを信じるだろう。
だからというわけではないが証明するような写真は今回一枚も撮ってこなかった。
仕事用の写真のみだ。

だが、考えてみればオレが書く日記なんだから証明する必要は無いんだと思いつく。
海岸線に沿うように延々とつづく冠雪した山脈がきれいだった。
新千歳空港は初めてだったが、食堂の壁に芸能人やスポーツ選手のサイン色紙が貼ってあって、新庄選手や、そこにあったのではただ一人撮影させてもらった事のある高橋克己さんの最近のもあった。
遠くを見る目に哀愁のある人だったなと思い出して、何故かコミカルな芸をする人の遠くを見る目には哀愁が漂う事が多い気がした。

人物を撮影するのはおもしろい。
だが、富岡多恵子さんの著作等読んでみると、ちょっと恥ずかしくなる。
というのは小心な自分がファインダーを通すと急にわがままに、あつかましくなり、さも当然のようにああせいこうせい言うし、恥ずかしいと拒否されてもそんなにたいした写真を撮るわけでもないくせに、それを説得しようとしたりしてまで自分の思いつきを押し通そうとしたり、うん、じつに失礼な事もしている。
それを撮られる側の人にみられてるのに。
あ、書いてみたらもっと恥ずかしくなった。

写真で嘘を作ろうとは思いませんが、現実そのモノではないとは思ってます。
死の床にある人に簡単にカメラは向けられないが、それをいえばすべての人は死ぬ運命にあるのであって、仕事で誰かを撮るのも死にゆく人を撮っているのだという事になる。
だけどオレは癌で入院している叔父を見舞ったときに、初めて一緒に来た父がベッドの叔父にカメラを向けようとするのをやめさせたのだったが。
それは矛盾、かな?
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by kato_ashura | 2008-03-23 23:00